本名 前田 敏 まえだ さとし <愛称:ビンちゃん>
生年月日 1953年1月25日
身長・体重 167cm、67kg
好きな言葉 「なせばなる なさねばならぬ何事も ならぬは人の なさぬなりけり」
座右の銘 少年老いやすく 学なりがたし
一寸の光陰 軽んべからず
未だ覚めず 地糖春草の夢
階前のご葉 すでに秋声
* 自分が働き生活している職場、地域、社会の中で、自分の分野を見極めることは、大変重要なことと考えております。そして、それを進める方策を見出す努力を続けていきたいと思います。
好きな事 農作業
*実家の吉野で米作りをしています。自然とのふれあい、自然の大切さと科学では制御できない偉大な力に感服。地球規模での環境問題が話題になっていますが、生活のリズムを少し遅らせて、不便さを“ゆとり”として捕らえて、今後も続けていきたいと思っています。
<母親には無理と苦労を掛けています。>
好きな読書 好きな作家(城山 三郎)
なかでも好きな本「毎日が日曜日」
好きな音楽 邦楽(森山 良子、中島みゆき、チャゲ&飛鳥)
洋楽(ビートルズ、ビージーフォー、マライヤキャリー)
演歌(森 進一、八代亜紀)
* でもカラオケは苦手です!!
私の生い立ち 奈良県吉野郡西吉野村で出生
* 梅の花で有名な賀名生(あのう)、富有柿生産で全国的に知られています。
小学校は永谷小学校(既に廃校となってしまいました。)=複式学級で勉強
中学校は西吉野中学校(学校統合で初めての入学生)=ブラスバンド、バレーボールに所属(同級生は3クラスの約120人)
高校生活は下宿生活:王寺工業高校(機械科)バレーボール部(キャプテン)、校外委員会(委員長)など、厳しくも楽しい学生生活を過ごす。
1971年:ダイハツ工業株式会社に入社 生産技術部総括課(当時)に配属。寮生活を送る。
先輩の皆さんの意見やもう少し勉強したいとの思いから、大阪工業大学短期大学部機械工学科で働きながら学ぶことの尊さを実感。


何かがおかしい寮生活(Non PolicyからAggressiveに)
1971年入寮当時の寮生活では、政治的な意図で活動する政党下部組織の青年達がおり、寮自治活動、政治活動に対抗する健全な先輩たちの活動に一緒に取組み、自主的かつ民主的な組織形成と活動の一端を担う事となった。
自治会活動を通して多くの先輩、後輩と交流出来たことが私の財産です。その後、寮自治会の活動から会社内での職場改善への意識が組合活動(同盟系:ダイハツ労働組合)として成長、職場役員として取組みがスタート。
*ダイハツ労働組合の結成は、大正時代に溯り厳しい組合弾圧や活動制限の時代を経て、2003年3月で単一結成50周年を迎える。
<日本を代表する歴史と伝統を持つ組織として先輩が大きな足跡を残している。>
組合専従役員として(11年の組合役員活動)
資本の自由化等でゆれる自動車産業、その中で働く組合員の結集体である自動車総連(全日本自動車産業労働組合総連合会)の本部役員として、東京(浜松町)に赴任。
自動車税制問題、対米輸出自主規制168万台等の産業政策活動に携わる。
その後、ダイハツ車の販売、部品の供給、輸送に関わる組織であるダイハツ労連事務局に大阪(池田市)に戻り、ダイハツブランドの基で活動に取組む。
“継続は力”セミナーで講演いただいたダイハツ工業幹部の言葉に勇気を得る。
会社員として(議会挑戦を決意までの12年)
組合役員(2年毎に職場の選挙で選出される)を退任、海外販売部に復職。
アフターサービス部品の輸出担当として、欧州をはじめ東南アジア、アメリカ等の市場を担当。その後、価格、物流関連業務を担当。新規の販社取組(物流、倉庫改善)に向けて、多くのノウハウを勉強すると共に海外出張の機会を得た。
2001年6月に発生した大阪教育大学付属池田小学校での忌まわしい事件は、中南米のベネズエラ出張先ホテルで知り、自宅(緑丘1丁目)への電話にて詳細な顛末を家内から聞く事となった。
2002年10月ダイハツ労働組合第50回大会で組織内推薦候補者として池田市議会への挑戦が決定される。
以上が私の会社員生活“30年の歩み”です。



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